おしゃべりぼくろ

手帳と万年筆と毎日を綴るブログです

自己肯定感と劣等感

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どうも、あかいろです。


今回はちょっとした雑談です。まさにひとりごと。


わたしは自他共に認める自己肯定感の高い女なのですが、なぜそう自負するようになったのか、今回はその話をしていきたいと思います。





自己肯定感とは、読んで字のごとく自分を肯定する力です。
わたしは自分を肯定できる人ほど他者を肯定することができる*1という考え方なので、この力はすごく大切な力だと思っています。


もともとわたしが「自分は自己肯定感が高いのかな?」と思ったきっかけは、行動する上で他人の顔色をひどく伺ったりすることがないなぁと気付いたことです。
また、これは少し違うかもしれませんが、失敗したりしたとしても、そして自分に短所があると分かっていながら、周りの人*2に愛されていると自信あるから、自由に行動できるのかもしれないと思ったんです。





比べて、幼い時のわたしは劣等感が強い子どもでした。
オシャレな物なんて身に付けてはいけないと思っていたし、そんな資格は自分にないんだとすら感じていたいました。
だから、自分がせがんで買ってもらったはずの水着も、その年は何となく着ることができませんでした。
「そんなことはないんだ」と気付くにはたくさんの時間がかかった気がします。


そんなこと考える必要はないだろうと思うのに、なぜそんな感情に苛まれていたのか不思議です。
人よりすごく嫌われ者だったとか、異常行動を起こしたりしていたわけではありませんでした。
今思えば軽く発達障害なのではないかと思うくらいマイペースな部分はあったけど、それでも人に迷惑をかけるようなことをする子どもではなかったです。




しかしよく考えると、身体的コンプレックスが影響しているのかもしれません。



ブログタイトルの由来にもなっているのですが、わたしの顔には目立つ部分にほくろがあります。
今でこそ、チャームポイント個性だと思えるようになったけど、昔はただただ嫌でしかありませんでした。


子どもは残酷で、よく「ほくろ」と呼ばれからかわれたりもしました。
それを相手にやめてくれと言ってもやめてくれるようなものではなかった。



他にも今より強く出ていたコンプレックスは多く、だからそんな考えになってしまったのかもしれませんね。





わたしが自己肯定感を養っていったのは、大人になるにつれて、だったと思います。
高校生を過ぎると、他人の身体的特徴に野次を飛ばすような人は、周りにほとんどいなくなりました。
むしろそれが当たり前なんですけども。


今までコンプレックスだったところを逆に褒められることもありました。
「あれ?悩んでいた自分はなんだったの?」と拍子抜けするくらいでした。



その後アート系の学校や職業を選んだため、「人と違う」というのは大きな個性になるという価値観が根付きました。


だけどこういった学校や職業に就くまで、就いてからも、周りの大人たちの反発は大きかったです。
「夢では食べてはいけない」類の言葉はいくつも言われました。
それでも、自分の選択肢の中から最善の方法を選んで、わたしはわたしの人生を歩んできた自負があるので、そういう生き方がわたしの自己肯定感を強くさせたのかもしれません。




あとは今の恋人と付き合い始めたことが大きい。


彼はわたしの容姿を決して貶したりはしません。
会うと毎回「かわいい」「美人」「きれい」といろいろな言葉を使って褒めてくれます。
それが事実かどうかは別として、やっぱり嬉しいし側にいて幸せな気分になります。



こういった色々な要因がわたしに力をくれたのかもしれません。
現実での肯定感が満たされているので、ネット上での承認欲求などが大きく出ることもないんだと思っています。




世の中には自分に自信がない人もいるけど自分に低い評価を下す人は、わたしにとっては素敵だと思える人が多いです。
自分も短期間で自己肯定感を養ったわけではありませんが、そんな人にも幸あらんことをと願うばかりです。


以上。それでは、また!




*1:自分を愛せない人は他人も愛せないという考えに似ている

*2:親しい友人、恋人など